教育と研究

 

生きることは学ぶこと〜主体形成の教育学  朝岡幸彦

 

「環境教育」といえば、学校で子どもたちに自然や環境問題について教えることだと思われがちですが、学校に行かなくても人はいつも環境について学んでいます。

それは、私たちがふだん目にして接する自然の多くが、人が何らかのかたちで創り出した環境だからです。「自然の向こう側には人や社会がある」が私のモットーです。過去から現在、そして未来につながる人の姿が自然の向こうに見えるのであり、地球の裏側で生活する人々ともつながるはずです。

東日本大震災によって多くの人がふるさとを破壊され、失いました。大きな自然災害(地震・津波・火山の噴火など)や原発事故を契機に、私たちは自然や環境問題との向き合い方を見直さなければならないと感じています。「つながり」「分かち合う」ことをキーワードに環境教育の新しい可能性を一緒に考えませんか。

 

これまでの研究や方法論

 

農学部に籍を置いて専門教育を行う教育学者は極めて少ないはずです。たいていは教育学部や文学部等の教育学科に所属しています。しかし、私の専門が教育学者としては(これもまた)極めて珍しい「農民教育論」であることから、結果として農学部にいることに大きな違和感はなく、こうした条件を活かした研究・教育を行なっています。
1.牛の飼い方・作物の育て方を農民はどう学ぶのか(農業教育・農民教育、食育・食農教育)
 私の博士論文のテーマは、ずばり牛の飼い方を農民はどう学ぶのか(マイペース酪農)です。「マイペース」とは「自分(オレ)流」という意味なので、いつも農民は学び工夫しなければなりません。いくら優れたやり方でも、人の真似をしていてはよい経営はできません。その後も、院生たちがときどき研究してくれています。
2.自然の向こう側にいる人や社会との関わりを学ぶ(持続可能な開発のための教育=ESD、自然保護教育・自然体験学習、開発教育)
 環境問題として地球温暖化問題や生物多様性の問題が注目されています。「持続可能な開発(Sustainable Development)」という考え方は、自然の向こう側には必ず人がいて、過去から現在、未来へと至る社会のあり方が問題になることを前提にしたものです。環境教育も、地域やコミュニティ、社会や国家のあり方を問いかける教育として発展してきました。
3.いまだからこそ学ばなければならないこと(災害教育・放射線教育)
 いまでもときどき東北の被災地を訪ねています。被災地の復興は、「もとに戻す」だけでは成功しません。津波や原発事故から私たちが何を学び、どのように伝えていくのか。粘り強く、試行錯誤をいとわない、ともに考え、「分かち合う」教育が求められています。